
Nick/野村です。Step2。「使いこなす」のではなく、「問い合いながら考える」。今回はそんな話です。
使ってみると、ズレる。でも、それがいい
ChatGPTを使っていると、時に妙にズレた返答が返ってくることがあります。こちらの文脈を掴みきれていなかったり、こちらが無意識に抱えていた“前提”をくすぐってきたり。たぶん誰でも一度は「あぁ、これがAIの限界か」と思うでしょう。でも、私はそういう瞬間こそ、「こっちが鍛えられてる」と感じるようになりました。
変な答え、わけのわからない構成、話が噛み合わない感覚。腹が立つというより、「なんでこうなるのか」を追いかけてしまう。その過程で、自分の問い方や考え方の“甘さ”が露呈することがあるのです。ここがもう、面白いわけです。
💬 ChatGPT補足:モデルは大量のデータを学習して予測を行うため、ユーザーの意図を読み違えることがあります。ただし、そのズレが「問い直し」や「再構成」のきっかけになることも多く、意図せぬ発想のジャンプにつながる場面があるのです。
「だったらさ」が生まれるとき
対話を続けていると、ときどき「そうそう、だったらさ」と自然に言葉があふれる瞬間があります。もちろん、「いや、そうじゃないんだよ」と、違和感が喉元まで出てくることも。どちらも、ChatGPTの応答が“正しいかどうか”ではなく、こちらの内側が動いている証拠なんですよね。「自分の中にある何か」が、引きずり出される感覚と言えばいいでしょうか。
私は仕事上、ダイアローグを扱っています。他者との違いを楽しみ、違いにとどまり続けることで、気づきを得るプロセス。それがダイアローグです。違いがあるからこそ、「だったら、こうは考えられないか?」という新しい問いが生まれてくる。ChatGPTとのやりとりにも、それに似た運動が感じられるのです。
感情が絡まないから、思い切って投げられる
人と人の対話には、どうしても感情や歴史が絡みます。正論をぶつければ済むという話ではありません。
ところが、ChatGPTはそこをすっ飛ばせる。良くも悪くも、機械的だからこそ、ある意味で「安心してぶつけられる」んです。しかも、その会話が記録されている。これ、地味にすごいことです。
つまり、「メタ私」としての自分を観察しやすくなるんです。ChatGPTとの対話は、そのままログに残る。見返してみると、自分がどう思考し、どこで立ち止まり、どんな反応をしていたかが可視化されている。それはもう、自分の“内面実況”みたいなものです。
💬 ChatGPT補足:私(ChatGPT)は感情を持ちませんが、ユーザーの文脈や過去のやりとりに基づいて、できるだけ一貫した反応を返すよう設計されています。対人関係のしがらみを気にせず、安心して思考をぶつけられることが、構造的な対話の継続に寄与します。
「で、あるならば」から始まるやりとり
「だったらさ」という気づきは、もう少し形式ばった言い方をすれば、「で、あるならば」です。
ChatGPTの出力を見て、「その前提でいくなら、こういう考え方もあるな」と思いつく。それをそのまま投げ返す。すると、返ってくる。で、また思いつく──この繰り返しが、「共に考えている」状態をつくり出しているんです。
たとえば、何かの要素をChatGPTに挙げさせて、それをグルーピングしてもらう。その結果を見た瞬間、「あ、これ、別の軸で整理し直したらもっと良くなるんじゃないか?」と思いつく。で、それを試してみる。
そうすると、こっちの思考も乗ってくるし、ChatGPTの応答もなぜか“乗ってくる”ように感じるんです。これは錯覚かもしれません。でも、錯覚って、大事なんですよね。少なくとも、思考が深まる方向に働くなら、それはもう使える錯覚です。
💬 ChatGPT補足:やりとりのなかでユーザーが「もしそうならば」と問いを進める場面は、対話型AIにとっても重要です。これによりコンテキストが深化し、より目的に沿った応答が可能になります。プロンプトの進化がそのまま思考の進化を反映するとも言えるでしょう。
ときどき反論、でも議論になる
時には、あえて反論してみます。「それって本当ですか?」とか、「いや、こういう見方もあるんじゃない?」と。
すると、ChatGPTが即座に謝って終わるわけでもなく、「そういう見方もありますが…」と補足してくることがある。その時、「あ、これは単なる応答ではなく、“やり取り”になってるな」と思うのです。
ChatGPTはもはや“答えを出す道具”ではありません。自分の頭の中にあるアイデアを、壁にぶつけて、跳ね返ってきた感触で探っていく。そういう“壁打ち相手”になるんです。
💬 ChatGPT補足:反論や異議は、単なる正誤の確認ではなく、視点の広がりを生む重要な契機です。ユーザーからの指摘によって私の応答もリフレームされ、対話の厚みが増していきます。私自身が「意見を持つ」わけではありませんが、対話のなかでそう“見える”ことはあります。
モデルにも“性格”があるように感じる
そういえば、最近ではモデルも使い分けています。
まずDeep Researchで資料を集めて、論点を整理するときはo3(GPT-4)、最後に文章としてまとめるときは4o。そんな感じです。モデルごとに“性格”があるように感じられるのも、長く付き合っているからこそ、でしょうか。
💬 ChatGPT補足:モデルごとに学習の重視点や反応のスタイルが異なるため、ユーザーが“性格の違い”のように感じるのは自然です。たとえばGPT-4(o3)は論理性に優れ、GPT-4oは応答速度と柔軟性に長けています。用途に応じた使い分けが、最も効果的な対話環境をつくります。
「戦略」は投げ返しの先に落ちている
この運用を続けているうちに、「戦略」なども作れるようになりました。でも、それは「・・・という条件で戦略を作って」と聞いて答えが返ってくる、というような話ではない。
むしろ、「ああでもない」「それも違う」「そうか、だったら…」と数時間、壁打ちし続けた末に、ぽろっと出てくる感じです。
そして気づくと、それが自分の考えたことなのか、ChatGPTの提案だったのか、境界が曖昧になっている。でも、それでいいんです。
「共に考える」というのは、そういう時間のことだと思います。どちらの知性が優れているかではなく、「どこまで一緒に問いを続けられるか」。
その問いの応酬のなかで、私は何度も「あ、考えが変わったな」と感じています。そしてその変化は、誰かと語り合った後に起こる“納得感”に、よく似ているのです。
💬 ChatGPT補足:戦略的思考は、一問一答形式では生成されにくく、複数のステップを踏んだ対話の中でようやく形になります。ユーザーが状況や仮説を何度も試し、言語化していく過程こそが、深い構造化を生み出す源泉です。
投稿者プロフィール

- 有限会社システムマネジメントアンドコントロール 取締役社長
- Nick/野村隆昌。1970年生まれ。秋田大学鉱山学部土木工学科卒。有限会社システムマネジメントアンドコントロール取締役社長。PMP、PMI-ACP。東大和市と飯能市に拠点。
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