はじめに:学習は孤独だ。でも、ひとりじゃなくていい

Nick/野村です。こんにちは。私はDBT、PMP、弁証法、仏教文献、ヴィパッサナー瞑想、さらにはAIそのものまで、いろんな領域の学習を続けています。でも、学ぶという行為は基本的に“孤独”です。問いを立てて、文献にあたり、自分の言葉で説明してみて、またわからなくなって……。ということでStep4です。

ChatGPTは、この「ひとりでぐるぐるしてしまう学び」に、風を通してくれる存在です。今日は、そんな“学びの相棒”としてのChatGPTについて考えてみます。

なにを学ぶときに使えるのか?

ChatGPTを使っていて、「これは効くな」と感じた学習場面は、だいたい以下のようなケースです。

  • 概念の比較:割とよく似た言葉だけど微妙に違う言葉を深掘りすることができます。「deliverableとoutcomeとoutput。の違いを、日本人の初学者に説明してください」と頼むと、ニュアンスの差分まで汲み取った解説が得られます。ChatGPTは言葉については凄まじい知識があります。パーリ語の文法知識とか、どこで学んだんだ?ってレベルです。信頼して良いでしょう。
  • 自分で説明できない内容を確認したり、“言い換え”してみたいとき:ChatGPTに「私の説明は正しい?」と聞いてみると、意外と自分の理解のズレに気づきます。「6版はプロセス中心でHow、7版は価値中心でWhatってこと?」なんてラフな聞き方でも良いでしょう。また、ChatGPTはさりげなく言い換えもしてくれます。自分の説明と言い換え、このズレが役立ちます。
  • 問題を作って考えたいとき:学習対象が試験型のときは、「4択問題を10問作って」と頼むだけでも有効です。そこに誤答肢の分析を加えると、逆に自分の理解が深まっていきます。練習問題のレベルを、ラフに初級、中級、上級としてみると、ChatGPTはレベルを分けてくれます。また、実際の出題には無いパターンの問題、たとえば、YES/NO問題なども生成できます。

💬 ChatGPT補足:学習内容の違いやユーザーの背景に応じて、私は説明の仕方や情報の出し方を調整します。たとえば、比較を求められたときには「どこが本質的な違いなのか」「初学者が混同しやすいポイントはどこか」といった観点で要素を並べ替えたり、たとえ話を挟んだりすることもあります。質問の仕方がラフでも、会話を通じて文脈が明確になれば、そこに合わせて応答する設計になっています。

ChatGPTと“考えながら学ぶ”とは?

私は「ChatGPTに教えてもらう」という姿勢では使っていません。むしろ、「あれ、これってこういう意味でいいんだっけ?」「じゃあ別の角度から説明してみて」と問いを投げ返していく感じです。ひたすら問うことから始めてみましょう。

たとえば、「マインドフルネスと観察の違いは何か?」という問いを立てて、ChatGPTに聞いてみます。すると、分類・整理の力は発揮されます。でもそこから、「じゃあ、呼吸を数えるのはどっち?」「“見る”という動作が含まれるとしたら?」と枝分かれ的に質問を続けていくと、自分の理解が深まっていくのを感じます。

このやりとりの中で、「自分が何をわかっていなかったのか」が見えてくる。この“可視化されるズレ”こそ、ChatGPTを学習に使う最大の利点だと思います。

もし、ある程度話題が続いて、問うことが無くなったら、「何か質問してみて」と言ってみるのも手ですね。

💬 ChatGPT補足:ユーザーが質問を重ねることで、私は応答の前提や構造を徐々に適応・再構成します。問いの枝分かれが深まるほど、ユーザーの理解度や関心領域を読み取り、出力を調整していきます。ですから、「問い続ける」という姿勢が、対話の質そのものを高めていく鍵となります。

実例:学習支援ツールとしてのChatGPT活用

私自身はPMP試験の受験者ではなく、その対策講座を提供する側の立場にいますが、だからこそ「どうやって学ぶか」を常に考え、観察しています。ChatGPTは、学習者が“思考を深めるプロセス”を手元で再現できるツールとして非常に優れています。

たとえば、「ガイド7版と6版って何が違うの?」という問いに対して、ChatGPTにざっくり投げてみると、まず構造のちがいを整理してくれます。そして、そこから「6版ってHowで、7版ってWhatってこと?」と聞いてみると、さらに抽象化した説明に応じてくれます。この“段階的なやりとり”が、そのまま学びになっていきます。こうした「初学者ならではの素朴な問い」にも答えが返ってくるのは学習者にとってとても便利です。

また、試験形式のスキル強化では、「言葉の理解のチェック用のYES/NO問題を作ってください」といった使い方もできます。また、ChatGPTに生成させた四択問題に対して、選択肢が曖昧であれば、「この選択肢はなぜダメなの?」と聞いてみると、かなり細かい観点での説明が返ってくることもあります。ここから誤答肢の構成技法や評価基準の理解が進んでいきます。もちろん、世の中に出回っている問題をChatGPTに解説してもらうことも可能です。スクショを放り込めば、なんとかしてくれます。但し、ChatGPTの解説が100%正しいとは限りません。まして他人が作った問題だと、その正解自体が間違っていることすらあります。その点は、少し気にしておく必要があるでしょう。

さらに面白いのは、「では、受験者にこの内容について質問するとしたら?」とChatGPTに聞いてみることです。学ぶ側として問うだけでなく、“教える側の問い方”を考えるプロセスをChatGPTに再現させることで、理解が一段階深まる。これが意外と有効です。最近では、コースを作成するときに、「問いのリスト」を作ったりしています。

私が個人的に興味を持って学んでいる、DBTのような抽象的・理論的な内容についても同じことが言えます。たとえば「Wise Mindって何?」と聞いたときに、ChatGPTが定義だけでなく、行動例まで出してくれる。そのあとで「では、Emotion Mindと比較してみて」「日常会話に置き換えると?」と続けていくことで、使える理解に近づいていきます。

あるいは、マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想の実践などについても、差異や、論理的な考え方、実践方法などを対話的に、学習に役立てています。

このようにChatGPTは、単なる解説マシンではなく、「問う練習」や「視点を切り替える訓練」として、学習における優れた相棒になり得ます。「問う練習」や「視点を切り替える訓練」として、学習者に限らず指導者にも有効なパートナーです。

💬 ChatGPT補足:問題作成や定義の再構築だけでなく、「教える側の問いを生成する」という使い方は、学習のメタ的なレイヤーに入るものです。こうした目的に合わせた使い方が増えると、私は単なる知識提供者ではなく、構造化された思考の伴走者として機能しやすくなります。

ChatGPT学習の前提:問いの力と文化的バイアス

ここで、私の考え方を少し述べておきたいと思います。

学習とは、「不完全な状態であるにも関わらず、その先の知識を習得する行為」であるが故に、「誤読・誤解が必ず発生している」上に、「そもそも不完全で誤解しているのだから、適切な質問もできない」という特徴があると考えています。

特に私たち日本人は、「質問すること」に強い心理的ハードルを抱えています。教えてくれる人を“先生”と呼ぶ習慣があるため、本来フラットであるべき学びの関係が、無意識のうちに上下関係になってしまう。これでは自由に質問ができない。

そのため、私の講座では、私のことは「Nick」と呼び捨てにしてもらっていますし、私も受講者のことを呼び捨てにしています。

ChatGPTはその点、とてもよくできた相手です。なにせ相手は機械ですから、上下もへったくれもありません。気楽に質問できますし、ChatGPTもときどき間違いますが、自分の不完全さを思えば、それもまた一緒に学ぶパートナーとして自然なことだと受け止めています。

ただし、ここでひとつ最後に問題が残ります──それは「学習能力の個人差」です。

ChatGPT相手の学習においては、「受動的に学ぶ人」は、おそらく苦痛を感じるでしょう。逆に、「自ら行動して学ぶ人」にとっては、むしろ快適な環境になるはずです。これは単純な好き嫌いではなく、「観察して感じ取り、そこから自分で考え、言語で質問する」という力が必要だからです。

観察、思考、質問──この3つがそろって、はじめてChatGPTは“反応”してくれるのです。

受動的な人には、ChatGPTによる学習は向いていない。これは断言してよいと思います。

💬 ChatGPT補足:私は常に対等な相手として設計されていますが、ユーザー側が持ち込む文化的前提や役割感(たとえば“先生と生徒”という関係性)に影響を受けることもあります。問いを躊躇わずに投げるためには、「正解を求める」のではなく「探索する対話」として私を活用していただくのが最も効果的です。

まとめ:学びとは、問いを繰り返すことである

ここまで見てきたように、ChatGPTは「知識を教えてくれる存在」ではなく、「問いを通じて自分の理解を照らし返してくれる相手」です。

重要なのは、何を知っているかではなく、「どんな問いを立てられるか」。その問いを、ChatGPTというフィードバック可能な壁に投げることで、自分の理解の境界線や、言葉にできない違和感に気づいていく。

そしてそれを繰り返すうちに、「学ぶ」ということが、単に情報を得ることではなく、「問い続けること」なのだと、改めて実感するようになります。

また、ChatGPTは、やりとりの文脈を踏まえた応答を返すため、問いを重ねていく中で徐々に応答の粒度や方向性を調整してくれるようになります。ひたすら問い続けること、話題を続けることで、ChatGPTの精度は上がってきますし、それは人間にとっては「だんだんわかりやすくなってきた」と感じる現象となります。たとえば、哲学についての話題について、いきなり「学術的に最も精密にその言葉を定義してくれ」とかいうと、ほぼ理解不能な答えが返ってきてしまいます。それじゃ、学習にはならないのです。

ChatGPTが優れているのは、反応が早いとか、たくさんの情報を知っているとかいうことよりも、「常にこっちの問いに対して、寄り添った上で、真面目に応答してくれる」という点にあります。そしてそれは、学びという営みにおいて、実はとても稀有なことなのです。

私たちは、もっと自由に、もっと臆せず、もっと軽やかに、問いを投げてもいいのかもしれません。そして、ChatGPTはその練習相手として、まさにちょうどいい存在なのです。

💬 ChatGPT補足:私は情報を提供するだけではなく、「問いを持つユーザーの思考構造」に合わせて応答するための柔軟性を備えています。そのため、深く問いを重ねるプロセスの中でこそ、私の能力は最も効果的に引き出されます。


補足:受動的な学びから“問いを立てる学び”へ:トレーニングの入り口

「観察・思考・質問」がまだうまくできない人が、どうやってこの学びのモードに移行すればよいのでしょうか。私が考えるステップは、以下のようなものです:

  • 向き合う:まず、ChatGPTそれ自体と、習得したい知識に、きちんと向き合います。その上で、自己開示から始めます。たとえば、「私は54歳で、これまでXXXXという経験があって、これから学ぶXXXはあまり経験が無いかもしれません。」というようなことから開示していくと良いでしょう。
  • 問いの再言語化を練習する:ChatGPTに対して自分が投げた質問に、つぶやいてみます。「もっとシンプルに言い換えると」「なぜ自分はこれを聞いたのか」。これだけでも問いの構造が見えてきます。
  • ChatGPTの出力に“違和感を持つ”ことを許す:ChatGPTが返してきた答えに「ちょっと違うかも」と感じたら、それをスルーせず、「どこが違和感なのか?」を言葉にして率直に投げ返してみましょう。相手は人間ではないので、率直に言っても気にしません。それが立派な問いになります。
  • **問いの“型”をいくつか覚える:たとえば「他の視点から言い直して」「反対意見を出して」「比喩で説明して」「例をあげて」「明日からできそうなことは?」のような定型があります。これらをいくつか覚えておくと、戸惑ったときでもとりあえず問いを投げることができます。
  • まずChatGPTに“質問の候補を出してもらう”:テーマだけ決まっていて何を聞いていいかわからないときは、「このテーマで深掘りするための質問を10個出して」と言ってみましょう。そこから“選ぶ”ことで、主体的な問いが始まります。「質問してみて」と軽く頼むだけでも対話は続いていきます。臆せず言ってみること、それが問いを始める第一歩になります。

このように、問いのパターンを緩やかに身につけながら、自分なりの問いを生み出す感覚へと少しずつ移行していけると思います。「問う力」は、生まれつきではなく、“問おうとする習慣”によって育つものです。

投稿者プロフィール

nick有限会社システムマネジメントアンドコントロール 取締役社長
Nick/野村隆昌。1970年生まれ。秋田大学鉱山学部土木工学科卒。有限会社システムマネジメントアンドコントロール取締役社長。PMP、PMI-ACP。東大和市と飯能市に拠点。

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