野村です。尾瀬に行ってきました。1日目完全に雨。2日目は、時々雨、という状況の中、ゆっくりと合計20kmくらい、歩きました。圧倒的な自然の中、荷物を背負い、太股を持ち上げ、前に出すことを、4万回くらい繰り返すだけの、簡単な作業なのです。パンデミック以来、全く歩かなくなってしまい、完全に身体がなまっていました。丁度良い、身体のリセットになりました。

さて、ひたすら歩く(あるいはひたすら自転車をこぎ続ける)ことは、精神を安定させてくれます。おそらく、交感神経と副交感神経のバランスがリセットされるのではないか、と、考えています。無意識のレベルでの安定ですね。交感神経優位過ぎる私としては、歩くだけで、体調が整います。

もう少し意識に近いところの話だと、足の裏、から、首までの状態をひたすら意識し続けます。また、視覚、聴覚も使い状況を認識し、判断します。外界からの及び体内からの情報を、全て受け止め続けます。そもそも、木道が雨で滑るので、意識せざるを得ないということもありましたが、内外から入ってくる情報を、「私が」「受け入れている」という意識を持ち続けます。これはつまり、禅修行そのもの、です。歩行禅ですね。

最近さぼっていますが、以前は自転車遍路に出ていました。高知の西側くらいで止まってしまっています。今回歩いて、遍路に行かなければ、と、強く感じました。心の修行が必要です。とはいえ、生活環境も変わってしまったので、以前のように自転車で、というつもりもありません(たとえば、誰もがzoomを使うようになって、いつでもどこでもzoomしなければならなくなったため、当時よりも、PCも持ち歩く必要性が高くなりました)。

私の修行の目的は、「不善を発生させない方法と、生じた不善を処理する方法の獲得」です。方法の獲得という書き方はちょっとおかしいのですが、言い換えると、そういう機能を自分にインストールする、そんな感じです。

修行とは贅沢な行為です。現代では、修行するためには、稼がなければならない(人並みに仕事をしなければならない)ということなのです。しかし、仕事やSNSなど、人と関係性を持つと、自分に不善が発生します。今、普通に仕事しSNSなどをみていると、心が不善で満たされているのです。いかに日常的に、自分に不善を発生させないか、不善が生じなければ、そもそも楽なわけですね。しかし、不善に満たされている日常では、それも気がつかない。だから、修行に戻るようにしなければならないのです。

ということで、以前とはルールを変えて、遍路に戻りたいと思います。

あ、どうでも良い話ですが、私は尾瀬の近くで生まれたのですが、尾瀬をちゃんと歩いたのは、50歳を過ぎてから、でした。近いからいつでも行けると思っていたわけですね。子供の頃から行くべきでした。

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