
野村です。2025年の弊社の標語は「関係の質以上にマネジメントの質は高くならない。だから関係から始めよう。」です。今日は、その標語について説明したいと思います。
モノローグとの出会い
今から4,5年ほど前になります。あるクライアント(歴史ある数百人規模の製造業)で「事業開発のトレーニングを、事業開発として開発する」、という仕事を支援していたときのこと。その時のいわゆる幹部クラスの一人に違和感を感じていました。まず、私と直接話をしない。次に、開発チームで「こういうことをやりたい」と提案しても、なぜか無言で却下されることもありました。まあ、たまにはそういうこともあると思っていましたが、どうやら、「その人物が望んでいる事以外、通らない」ということがわかってきました。そして、私には直接降りかかってこなくても、チームメンバーには、一方的に指示が降りてきているようでした。では、彼は、この事業開発のトレーニングに反対しているか?というと、そうではないのです。なんだろう?という感覚でした。
たとえば、プロトタイピングとしてのコースを運営している時には、ちゃんと挨拶に現れます。そして、成果が出ていることは喜んでいるように見えていました。その頃は、ふむ、コミュニケーションが独特なのかな?と、感じていました。
ところが、この問題は、その幹部クラスの一人のパーソナリティの問題だけではない、と、気付いたのです。あまり詳しくは書きませんが、この会社の支援に入って半年以上経過した頃。その社内で行われた、ある全社アンケートの結果を眺めていた時、もっと重大なことを発見してしました。この組織では、ほぼ全員が、「課題を指摘するときに、他者の課題を指摘している」のです。これは衝撃的な発見でした。
たとえば、アンケートに何か答えるとします。その時に、「うちの課の課題ではないが、どうやらとなりのXX課では・・・」と、書くでしょうか。もちろんゼロということではないですが、殆どそれしかない、というのは、かなり異様なものを感じました。
他にも、社内でプロトタイピングの実行としてのコースを運営していても、ある特定の問いをすると、急に場が静かになるのです。無責任にアイデアを出す、ということはできるのですが、社内の課題を解決するための課題とアイデアを出す場になると、突然静かになります。これは、深い明確な課題がある、というより、突然沈黙が訪れる、そんな印象でした。
表現が難しいですが、私はこの会社について、「井戸に石を投げ入れても、いつまで経っても音がしない」ような雰囲気を感じました。
このときに、最初に登場した幹部クラスの一人の違和感と合わせ、考えた結果、
- この社内では、課題を自分事にしないことが当たり前(なんでも他人事)
- この社内では、他者にきちんと関心を向けないことが当たり前(誰に対しても無関心)
- この社内では、一方的に伝えるのが当たり前(双方向のコミュニケーションをせず一方的に伝達する)
と、気付きました。
「井戸に石を投げ入れても、いつまで経っても音がしない」とは、他人事、無関心の結果だったのです。この会社は、昭和時代のヒエラルキーや一方向のコミュニケーションが強い組織文化なため、一方的伝達が常態化していました。私はこの現象を「虚・void」と名付けて居ましたが、すぐに適切な用語を知りました。それは「モノローグ」でした。以前から時々一緒に仕事をしていた最上雄太博士の学位論文からその言葉を知りました。そこから最上氏との対話を重ね、分析をやりなおし、この現象が、「モノローグ」な状態であることを理解しました。
この会社の現状と、最上氏の論文などから、状況を整理し、社長以下幹部に説明を行いました。では状況を改善しよう、ということになりましたが、その後、何ら進捗がなく、私も関わることを止めざるを得なくなりました。
ダイアローグとは
ここでダイアローグを定義します。ダイアローグは、先ほどのモノローグをひっくり返したものです。自分事、相手に関心を向ける、双方向、です。日本語では対話と呼ばれるもの、です。
そこから色々な組織を観察し始めましたが、実に多くの組織に、モノローグが横行しており、ダイアローグが出来ていない現実がありました。たとえば最初に挙げた会社は、ティール組織における「アンバー」(ヒエラルキー、階層、制度、上下関係で組織を保っているような組織)から、その先に進めるか、というような状況に見えました。日本では昭和から続いている会社が多く、どこの会社も、アンバーっぽい雰囲気は残っているようにも見えます。指揮命令系統に頼り、ルールと上下関係で統制していくような組織、実際には沢山あると感じました。
モノローグ組織とダイアローグ組織
ここまで、個々人のコミュニケーションの話と、組織の話を混ぜて書いてきていますが、そろそろ、個々のコミュニケーションの話と、組織の話を分離させる必要があります。組織全体が、モノローグでも運営できている状態は、モノローグ組織、組織全体がダイアローグに取り組み続けている状態であれば、ダイアローグ組織としましょう。ここでポイントは、「ダイアローグ組織には完成された状態はなく、取り組み続けること」です。なぜでしょう?
一人の管理職に何か提案したとします。その管理職がざっと提案をきいて、理由も言わずに「それは却下」と言ってしまったとします。この瞬間から、提案した人は、モノローグになります。このように、モノローグは、上に立つ人の行動で、その下に広まって言ってしまいます。
モノローグ組織では、事業開発はできない
もうお気づきの方もいらっしゃると思います。モノローグ組織には、心理的安全性(私は心理的安全性は性質を現していると感じるため、シンプルに心理安全と呼びます。労務安全、交通安全と同じ、取り組みを現す言葉です。労務的安全性というと意味がぼやけると感じています)への取り組みなど、出来るハズがないのです。心理安全が否定されているような組織で、フラットで、自己組織化された、アジャイルなチーム、など、成立するはずがないのです。ちなみに、心理安全が否定されているような会社では、経営幹部は軽々と「うちの会社は心理的安全性に取り組んでいます」と、言います。大抵あとで、その部下から、「あの人はああ言いましたけど、自分が元凶ってわかってないみたいです。がっかり」というような話を聞かされます。
アジャイルなチームが成立しなければ、事業開発など、出来るわけがないのです。ここで、まず、ダイアローグ組織に向けた取り組みが必要、と、考えました。その頃の弊社の標語は「変化を導く人を育てる」でした。
ダイアローグが出来る組織とは
改めて、ダイアローグ組織について考えてみます。
ダイアローグが出来る組織とは、テクニックとしてダイアローグが出来る人が集まっている、ということではないのです。ダイアローグが出来る雰囲気が醸成されている、ということです。テクニックとして知っている、それを理解している、行動が出来る、というだけでは、不十分です。一部の人ではなく、全体で、行動に移せていなければなりません。行動できていれば、雰囲気が醸成されています。ここなら自分もダイアローグ出来る、と、感じられる環境が必要です。つまり、「安全」でなければならない、ということになります。たとえばなにか提案しても、無視される、というような環境は安全とは言えません。単にコミュニケーションのテクニックをいくら磨いたとしても、それができる安全は得られません。といういことは、単にコミュニケーションや組織の風土の問題ではない、ということに気づき始めました。そしたことを、総合的に考えつつ、現場を観察しつつ数年が経過しました。
「関係」を作り続ける
いくつかわかったことがあります。
まず、そもそもこの課題は、「人間の課題」であるということです。人間は脳を持ち、言葉を操ります。また、意思を持ち、身体を操っています。その人間は、五感+意思をインプットとしています。次に、人間は、感情の影響も受けます。そうしたこと全体も、考える必要がありました。
そして、「安全」な環境のためには、心理面で様々な注意が必要だとわかりました。たとえば、「無意識に発話しない」「無意識に評価しない」「意識的に上下関係が無い行動を取る」などです。その上で、フラットな関係を作る事がようやく出来ます。心のレベルから取り組む必要がある、ということです。次に、関係それ自体を観察する必要もあります。人の行動、表情、言葉遣い、そうしたことから、人と人の関係を観察することも必要となります。
これを思考する過程では、ガーゲンを読みました。いわゆる社会構成主義です。社会構成主義とは、現実が人々のコミュニケーションや関係性の中で構築されるという考え方です。
さて、こうしたことを理解した上で、「なるほど、関係に集中すべきなのだ」ということに注意を向けていくことができます。ちょっとややこしい話になりましたね。2023年頃はうまく説明出来ませんでしたが、今では、「関係を作るダイアローグ」のワークショップも運営しています。このワークショップでは、最低限の説明だけで、ほとんど指示はしません。ただ、ファシリテートしつつ、私を含めた全員でダイアローグしながら、それを体感的に理解していきます。だって、指示とか一方的に蕩々と喋るとかって、モノローグですからね。
ここまで来ると、関係を観察し、関係に意識を向け続ける、ということが、全ての基礎だとようやくわかってきます。
関係の質以上にマネジメントの質は高くならない
ある時、些細な一言を、一方的に誰かから言われたとします。それによって感情がざわつき、相手との関係は少し崩れています。そんなときに、相手と一緒にやっていた仕事で自分に小さなミスが起きたとします。それを、関係が崩れているので、相手に伝え忘れることも起きます。そして、相手はそれを翌日まで知らなかった。そして、もっと大きいミスが起きたとします。この相手に起きたミスは、マネジメントの問題で生じたものでしょうか?
関係は、組織において、最もベースとなるものです。関係の質以上に、マネジメントの質が高くなることはないと考えるに至りました。だから、関係から始めるべきなのです。具体的には何をすればいい?それは、関係を観察すること、自分を観察すること、関係を作り続けること、です。
投稿者プロフィール

- 有限会社システムマネジメントアンドコントロール 取締役社長
- Nick/野村隆昌。1970年生まれ。秋田大学鉱山学部土木工学科卒。有限会社システムマネジメントアンドコントロール取締役社長。PMP、PMI-ACP。東大和市と飯能市に拠点。
最新の投稿
事業開発2025年4月15日組織変革における弁証法的アプローチ
ダイアローグ2025年4月15日ダイアローグのその先へ──関係を深めるための具体的な工夫
ダイアローグ2025年4月15日話しにくさを感じる相手と、どう向き合うか
PMP試験対策2025年4月5日PMPを目指すならDeepL有償版!